7月11日は参議院議員通常選挙

どこに投票すべきか。
私の判断基準は日本国憲法との距離感にある。
福祉国家を前提とした人権保障に厚い憲法価値を実現してくれる政党に入れたい。
自民・民主といった政権中枢にあった政党はこの基準に適わない。
自民党はまずもって憲法改定を綱領に掲げる政党であり、絶対に支持できない。
民主党は民力結集などとのたまわっているが、その「民」は自然人たる国民ではなく法人たる会社にその目が向いていることが随所に現れている。
少数政党で予断を許さないのはみんなの党である。この党は国の運営を会社経営の論理で立て直そうとしているように感じられる。特に会社で言えば「リストラ」に当たるであろう国会定数削減は目に余る。この政党に投票してしまうことは国民にとって「自殺行為」になるだろう。
この国会議員定数削減の議論に私は否定的である。
とりわけ民主党は比例定数の削減を唱えるが、これは国会は民意の縮図であるべきであるという民主主義の原則に真っ向から反するものである。比例定数を削減すればいまある共産党社民党議席は消されるだろう。しかし、共産党社民党に対する投票は一定数存在する。比例定数の削減はこの民意を国会の議席から抹殺することになる。民主主義をマイナス方向に変えることは反対である。
しかも定数削減はコストカットの一環として語られているが、これもほとんど効果がない。国会経費の削減を言うなら違憲の制度と考えられる政党交付金を即時廃止すべきである。

橋下大阪府知事はどういうことを考えているのだろう?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100519-00000618-san-soci
子どもたちに米軍基地を修学旅行で見せるということ自体はありうることだろう。
しかし,それはフラットな形で行われなければならないはずだ。
ところが,この記事の流れからすれば,橋下氏は日米安保が重要であり堅持すべきであるという立場だ。
そうした立場の者が府教委(従うかどうかは別として)に対して先述のような提案をすることは教育の中立性を害するものではないか。
仮に見せるのであれば,フラットな形にするか,たぶんそれは無理なので両論から見るという機会を与える必要がある。
橋下氏といえども,よもや「一面的な見方」を身につけることを教育目標にしていることはないだろう(と思いたい)。
もう一つ気になるのは,一方で軍事力の問題は政治家が解決すべきであるとしながら,他方で大多数の決定に従って解決すべきということを述べている点である。
この二つの主張には整合性がないのではないか。
前者の主張は,軍事力の問題は「国民は差し置いて」政治家で決めるという立場が背景としてあるはずであり,後者の主張は普通の民主主義を指しているからである。
しかし,政治家は本来民主主義の枠内になければならないはずで,民主主義よりも政治家の判断に重きを置くのは橋下氏が忌み嫌っているはずの全体主義的な政策決定方法に親和的であるように思う。
また,今回問題となっている移設問題に絡めて1000万人対1億1000万人という例えを出してくるのも奇妙な点だ。
少なくとも今回の問題ではそんな圧倒的な民意は形成されていないはずである。
短い記事で真意がどこにあるのかはわからないが,とにかく「思いつき」でしゃべる政治家であることだけはわかった。

62

原点であり目標でもある。
それが自分にとっての日本国憲法といえると思います。
やっぱりがんばらないと。
経済対策でなりをひそめていた改憲論議を再燃させようという動きが起きています。
設置のお膳立てはされたものの別に国民が望んでるわけでもないので放置状態だった憲法審査会を動かそうとしているようです。
自民党は規程があるのにやらないというのは重大な不作為とまで言っています。
しかし憲法にまつわる政府の不作為は多々あります。
それも基本的人権や民主主義にかかわる重大なもの。
憲法は国民が政府をコントロールするルールです。
政府は自分の都合のいいように憲法を変えようとしています。
「こんなはずじゃなかった」と言わなくてすむようにしたいものです。
1919年ワイマール憲法に端を発する生存権がいまだに重要な権利としてフォーカスされざるを得ない,「人権後進国」日本。
不断の努力は続きます。

秋葉原の通り魔事件


日曜午後の惨状に目を疑い,暗澹たる気持ちになった。
まずは,犠牲に遭われた方々の安らかな眠りをお祈りする。
犯人は,いま大流行りの派遣で働いていたという。
この事件は防げなかったのか。
もし,彼が正社員としての仕事を手にし,安定した未来を想像することができていたら・・・。
もちろん彼がしたことは,許されることではない。
彼自身は罪を償わなくてはならない。


うろ覚えだが,学部のころ犯罪学の授業で,経済的要因の犯罪には対策を施せるが,殺人のような犯罪は一定の確率で起こってしまうというのがいまの到達点だと習った記憶がある。
今回の事件は経済的なものと個人的なもの,両方に要因があるように思われる。
片方がなかったなら・・・。
やはりそう考えてしまうのだ。

これでも大学教授なのか?

産経新聞のコラム,「断」の執筆者,大月隆寛札幌国際大学教授。
環境汚染などと言い立てようが,もちろん自由ですけどね。
見たくないものを見せてくれるなというのが通る社会に言論の自由があるのか??
こういう,対象を広くくくって汚くののしっても,名誉毀損にはなりませんもんね。
うまい逃げ方を考えたものです。常套手段かな??
信者と目される誰かを特定して同じ言葉でののしれば,名誉毀損になるのではないか。
それができないなら,単なる自己満足の言辞だと思いますけどね。
ええ,言われなくても自由にやりますから!!
と,挑発に乗ってみる(笑)。

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080514/acd0805140309000-n1.htm

ヒロシマ

今年新たに,被爆直後にヒロシマで撮影された写真が公開されていることを知りました。
ヒロシマ被爆写真はさまざまあり,どれも悲惨な状況を伝えるものですが,今回のものは凄いです。
本当に,恐ろしい兵器であることを思い知らされます。
一人でも多くの人がこれを眼にし,一刻も早く核廃絶を実現したいものです。
特に核保有国の指導者は是が非でも見なければならない。


http://faculty.ucmerced.edu/smalloy/atomic_tragedy/photos.html


※追記※
この写真の真偽はいまだ明らかでないそうです。
失礼しましたm(_ _)m

民主主義はどこへ


マンションの共用部分を通って,各戸にビラを配る。


最高裁は,上の一文の行為に危険を感じるようです。
「官舎の管理者の意思に反して立ち入れば、住民の私生活の平穏を侵害する」
ということらしいです。
ビラは,表現の自由を実現する素朴で一般的な手段です。
表現の自由は民主主義を実効あるものにするための基本的で重要な憲法上の権利です。
しかし,それを配ることは,私生活の平穏を侵害するということのようです。
ポストに爆弾でも入れようというなら話は別ですが,紙を差し込むことがそんなにあぶないことなのでしょうか。
こんな判決が出れば,ビラを表現の手段としている市民にとって重大な萎縮効果を与えます。
そうした影響を,最高裁は考えたのでしょうか。
考えて,あえて有罪にしたのでしょうか。
わかりません。
でも,効果は絶大です。


さて,この判決を,映画「靖国」の上映中止問題でクローズアップされている弁護士議員は,もちろん表現の自由を尊重して批判してくれるはずです。自民党にもそういう人がいてよかったです!?


立川ビラ配りの3人、有罪確定へ 最高裁が上告棄却
http://www.asahi.com/national/update/0411/TKY200804110209.html