教育基本法強行採決


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061116-00000045-mai-pol


昨日から今日にかけて、衆議院の特別委員会、そして衆議院の本会議で教育基本法の改正案が強行採決されました。
以前通常国会に出た際に、絶対通したくないものとして言及しましたが、ここにきてついに強行されてしまいました。
衆議院で野党欠席のまま採決されたことについて、安倍首相は国民の前で議論すべきだとコメントしたそうです。
議論する気がなかったのはどちらでしょうか?
そもそも今回の改正については、それに反対する世論は大きくても、賛成する世論はさほど大きくなかったといえると思います。
政府主催のタウンミーティングでわざわざ謝礼まで払ってやらせ質問をしなければならなかったのも、その証拠でしょう。政府与党が「改正を求める世論がある」とするためのアリバイづくりであったことは明白です。
与党側には、議論する気など毛頭なかったのです。
世論が求めていないという点で、議論の出発点が成立していないこの法律を強行採決することは絶対に許されません。
現に、改正について反対とまでは行かない人が、拙速な議論は慎むべきであるということを発言しています。
しかしまだ参議院があります。最悪でも継続審議に追い込みたいものです。



教育基本法ほど重大な法案がたやすく通されてしまう状況は本当に情けないものがあります。
私の憲法に対する思いは教育を通じて形作られたといってもよいでしょう。
しかしそれは、学校が教えてくれたのではなく、私を取り巻いていた教育の状況がそうさせたのです。
日本国憲法の理念の達成が、「教育の力に待つべきものである」とされた教育基本法の前文を見たときに、その精神の輝かしさとともに、現実がそこからは遠いという思いを抱きました。
そして、そのような現実を形成してきた有権者たる大人を恨みもしました。
自分に選挙権がないことを、悔しいと思いました。
だからこそ、大人になったとき、自分の力ではどうしようもない子どもたちに対して、きちんと責任を果たせるようになりたいと思ったのです。
そのとき実現したいのは、日本国憲法が体現される社会であったのです。
しかし、今回の改正案では、日本国憲法教育基本法との関係が切断されています。
もし成立してしまえば、私が抱いた理想は法律上は達成されることがなくなります。
ただ、まだ日本国憲法が残っています。憲法上は、達成できるのです。
法律が国民を縛り付ける内容でも、憲法がそれを破ってくれるからです。
その段階にいかないよう、なんとか踏ん張りたい。

教育基本法
(昭和二十二年三月三十一日法律第二十五号)


 われらは、さきに、日本国憲法 を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法 の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。